ブログタイトル「hontogohan」とは

この日記は「hontogohan」、つまり「本とごはん」というタイトルだけど、いまのところ本のネタもごはんの話も出てこない(まだ2回目だけど)。

ごはんは(当然ながら)毎日食べているので、何かしら書くことはあるのだけど、正直外食もままならないコロナ禍、特筆すべきことがない「自炊ごはんのことを延々と書いてもねェ……」と躊躇している状態だ。

それならおいしそうな写真でも撮って、お茶を濁す……じゃなくて、工夫してコンテンツを仕上げればいいのかもしれないが、まず私は写真がとても下手だ。一眼レフでときどき練習しているものの、アイキャッチになるようなおいしそうなごはんの写真は撮れないし、そもそも家の食卓で「さあこれから食べよう」という時に一眼レフを取り出し、何度もシャッターを切ってこだわりの一枚を撮るというのはとてもめんどくさい(←いつもこればっかり……)。スマホで撮ろうにも、私の持っているiPhone 8はまだカメラ機能がそれほど高度ではなく、印象感高い写真に不可欠な「ボケ」ができない。スマホを買い換えるか、写真の腕を上げるか、それとも料理の腕を上げるか、何かが変わらないとごはんネタができないのだ。しかも昨年11月からダイエットを続けているため、コンビニのサラダチキンだけ、という時も多い。

でもいいや、これはあくまで個人的な日記だから。

もう1つの「本」のほうはどうか。実は最近、本当に本を読まなくなってしまった。読むとすると、仕事で必要な本、自己啓発書(すぐ「めんどくさい」といわないように!)、発作的に起こる英語勉強欲に合わせて買ったテキスト&ペーパーバック、たまにドキュメンタリーとか。昔は小説とか物語が本当に好きだったんだけどな……。

なぜ小説を読まなくなったのか、昨夜その理由を考えてみたところ、どうも近年「小説世界に頭をアジャストできない」ことに気が付いた。説明が難しいのだが、小説の世界にうまく入り込めないというか、物語の世界観を理解するのに時間がかかるようになったのだ。

「自分」と「小説に描かれている登場人物や世界」が若干ずれてきたのかもしれない。私は今年で五十歳になるが、五十歳の働く女性(しかもフリーランス)が主人公という小説はあまりないように思う。そういう立場の人が、世の中には少ないのかもしれない。だから主人公になりにくいのかもしれない。「五十歳主婦」「五十歳兼業主婦」「五十歳女性会社員」「五十歳離婚歴あり」という方は多少いらっしゃるかもしれないが、「学校卒業してから結婚歴がないまま会社員からのフリーター(≒フリーランス)生活、現在親の介護もちょっとやってる」というと、相当レアケースなのかも。

かといって、上に書いたまんま「学校卒業してから結婚歴がないまま会社員からのフリーター(≒フリーランス)生活、現在親の介護もちょっとやってる女性」が主人公のフィクションを読みたいかといえば、全然読みたくない。現実と同じなのに、なんでわざわざフィクションを読まねばならないのか。ここが難しい。

物語の世界観をスッと理解しにくくなったということは、言いたくないけどやはり老化なのだろう。頭が硬くなった、理解度が低くなった、だからあまり小説を読まなくなったような気がする。

これは気を入れないと、将来ヤバいかも。いまはまだ、七十代八十代の高齢者世代に対して「古い考えだ」と意見をいえたとしても、近い将来自分の頭も硬くなり、新しい価値観や考え方を受け入れられなくなったら目も当てられない。若い世代にバカにされるのはいいとしても、現実の世の中の変化を受け入れることができなければ、心がつらくなる。生きて暮らしていくことも困難になる。

コンテンツがたくさんあるこの世の中、古い小説も新しい小説も、話題の本や映画、音楽も、できるだけ楽しむほうが、人生に絶対にプラスになるはずだ。せっかく「hontogohan」というタイトルを付けたんだし、気になる本やコンテンツを楽しみ、食を大事にするように心がけようと思う。